日本磨き合い通心11月号「掃除哲学とサーキュラーエコノミー、新技術の融合」
今年は暑い日が長く続いて、あっという間に秋が過ぎ、
年末の繁忙期に入って忙しくされている事と思います。
さて、皆様には、金崎さんがいつも語っています
「考え方が全てを決める」という考え方の重要性を理解し、実践し、
それぞれの哲学を持って日々励まれていることと思います。
私は、先々月号あたりから新技術や他国の考え方、
そしてサーキュラーエコノミーについて記しましたが、
それが掃除哲学とどう融合し調和するのかを考察してみましたので、
ご一読いただければ幸いです。
「汚れは存在しない」
という視点からの再構築。
近年、世界では「サーキュラーエコノミー(循環型経済)」という考え方が注目されていますが、
これは資源を「使い捨て」ではなく「循環」させ、廃棄物を限りなく0に近づけようとする経済モデルです。
従来の3Rが「廃棄物の削減」を目的とするのに対し、
サーキュラーエコノミーは「そもそも廃棄と言う概念を再定義する」ことるから始まります。
つまり製品や資源を単なる「物」ではなく「流れ」や「関係性」として捉え、
循環の中で価値を再生し続けることを目指しています。
この思想は、清掃と言う行為にも深く結びついています。
なぜなら、清掃の本質とは「汚れを取り除くこと」ではなく
「環境を整え、調和を回復すること」にあるからです。
もし、すべての生命•物質•エネルギーが、循環の中で存在しているとすれば、
「汚れ」と言うものは、絶対的な存在ではなく、ある一時的な滞りや偏りに過ぎない。
人間が汚れと認識しているものも、生命や物質の循環の一部であり、
視点を変えれば「流れの偏り」を整える行為こそが「掃除」といえます。
この考え方に立てば、清掃は単なる「除去作業」ではなく、
「循環の調律」として再定義できるのではないでしょうか。
私はこれを「調律ハウスケア」と呼びたいと思います。
例えば、油汚れを分解する際も、科学的な除去ではなく、
微生物分解や酵素分解、又は電解水やナノバブルなど、
自然巡回を模倣した技術で、"元の流れ"に戻すことが可能である。
ここに、新しい掃除哲学と技術の融合の可能性があるのではないでしょうか。
この融合を支えるのが「データドリブン」と「サーキュラー思考」であろう。
この考え方に立てば、清掃は単なる「除去作業」ではなく、
「循環の調律」として再定義できるのではないでしょうか。
私はこれを「調律ハウスケア」と呼びたいと思います。
例えば、油汚れを分解する際も、科学的な除去ではなく、
微生物分解や酵素分解、又は電解水やナノバブルなど、
自然巡回を模倣した技術で、"元の流れ"に戻すことが可能である。
ここに、新しい掃除哲学と技術の融合の可能性があるのではないでしょうか。
この融合を支えるのが「データドリブン」と「サーキュラー思考」であろう。
データドリブンとは、経験や感覚に頼るのではなく、
現場データ(湿度、温度、汚染度、塩薬剤量など)を収集し、
AIやセンサー分析によって最適な清掃プロセスを導き出す仕組みです。
従来の「経験値による感」から「循環と調和を科学的に捉える清掃」の進化である。
これは既に部分的に行われていて、洗剤や水の使用量を最小化し、
素材や空間の状態に応じた"使用最小限の介入"が可能になるのではないか。
つまり人と環境の関係を「見える化」しながら、
最も自然な状態へと戻す行為、それが新しい時代の清掃となるのではないでしょうか。
また、サーキュラーエコノミーの考え方をビジネスとして清掃業に取り入れることもできます。
従来の清掃業は「請負型」つまり作業の成果に対して報酬を得るのが基本です。
汚れが多ければ作業量が増え、コストもかさむという逆転した構図が存在していました。
しかし、サーキュラー型の考え方では、清掃サービスを「利用権」として提供することができます。
例えば、空間清浄度や環境データをモニタリングし、
一定の基準を維持すること自体をサービス価値とする
「環境基準契約」や「クリーンマネジメント契約」がそれである。
これにより清掃は「汚れを落とす行為」から「快適さを循環的に維持する仕組み」へと変わります。
成果とは、正常な環境の持続そのものであり、
単発的な作業の結果ではなく、継続的なバランスの維持に価値が生まれます。
さらに、サーキュラーエコノミーの要素を取り込んだ清掃業は、
資材・機材の共有や再利用にも展開できます。
例えば、清掃機器を所有せずに「共有プラットフォーム」を通じて利用し、資源の無駄を削減する仕組みです。
また、使用済みクロスやパットを再生素材として回収・再製品化する流れも可能です。
(一部企業では既に行われています)
ここで重要なのは、「廃棄物ゼロ」を目指すのではなく
「廃棄の概念を再定義する」ことです。
清掃で発生する汚れも、回収した微粒子や油脂も、
別のエネルギーや資源として循環の中に戻す設計が求められます。
まさに清掃を「再生の起点」として捉える視点です。
一方で、現場の技術そのものは一見変わらないように見えます。
モップもブラシも、基本的な動作は昔と同じです。
しかし、哲学と設計思想が変われば、
同じ動作が全く異なる意味を持つようになるのではないでしょうか。
例えば、「磨く」という行為を"落とすための摩擦"から、
"整えるための触覚"へと再定義します。
そこには、素材と人との対話、そして空間との調和があります。
汚れを"敵"として扱うのではなく、
"循環の一部"として理解し、その流れを整える存在として関わります。
これこそが、縄文的な自然観とも響き合う「調和の清掃哲学」であろうかと思います。
もし、近年のサーキュラーエコノミーが、
生命と物質の循環という原理に基づいて導かれたものであるならば、
清掃哲学の変革と新技術の融合は、
まさにその中心に位置づけられるのではないでしょうか。
清掃とは、地球の循環と人間の暮らしの接点に立つ行為であり、
その中で人は"分断された世界"をもう一度つなぐ役割を担っていて、
テクノロジーはそれを可視化し、哲学はそれに意味を与えます。
「汚れは存在しない」
それは、全てが流れの中にあるという理解です。
清掃とは流れを取り戻すこと。
そして、サーキュラーエコノミーとは
その流れを止めないための社会的仕組みです。
この2つが重なり合うとき、清掃は単なる作業ではなく、
生命と環境を調和させる「循環のデザイン」となりえるでしょう。
これこそが、次の時代の"清掃哲学と技術の融合"が示す未来の形ではないでしょうか。
「日本磨き合い通心」とは
『日本を磨く会』が会員様向け(主に清掃業者様向け)に毎月発行している会報です。
弊社では、毎月原稿を協力しております。
ご興味のある方は、日本を磨く会HPをご覧下さい。
